秘めたる空戦:陸軍3式戦闘機飛燕の話。
生き残った札幌2中のパイロットの苦闘ですが絶対に落とされるな(生きて還れ)
と手練れの中澤中尉と松本軍曹のペアの軌跡 結局米軍の捕虜となり天寿を全うしたのですが
ある意味で永遠のゼロの実際あった陸軍機版ともいえる本。 請ご一読。
ノモンハン戦の野口雄二郎飛行団長ーノモンハン戦は航空戦で陸軍航空隊はめちゃくちゃ強かった
戦後の左巻き半藤などが述べていることとは異なる歴史で
ジューコフが生涯で一番苦しかった戦いはなにか?レニングラード攻防戦ではなく
ノモンハンの戦いであったと述べていたことももっともです。 戦争は負けたと思った方が
事実はことなっていても結果は負けということ。
その飛行団長 野口の軌跡を甥の山ノ口洋が描く団長となっても戦闘機を操り
機上から指揮していたー海軍の飛行長と陸軍のそれは少しちがっている。
むしろ陸軍のほうが上下の結びつき方は強かったのかなと感じた。
同じ印象はああ疾風戦闘隊 新藤常右衛門の手記も同じ。
新藤も 飛行団長でありながら対B29の迎撃戦に参加していて戦争末期まで現役パイロットだった。
以前読んだ戦記で陸軍パイロットのものは 穴吹智の蒼空の川(もしかしたら紅の豚の天に続く川もこの本の題名から?)
加藤隼戦闘隊を指揮 戦後も航空自衛隊の創設に寄与した黒江保彦の手記
B29迎撃に活躍し
戦後航空自衛隊の教官となりT33の事故で殉職された小林照彦氏ーその奥さんが書いたひこうぐもという手記も印象的。
海軍パイロットにもどる。
上下関係でとても暗く苦しく 戦後の残された人生を特攻で散華された英霊の追悼に捧げた角田和男氏の修羅の翼は
読むのがとても辛かった。
ラバウルで角田さん 長野県出身でラバウルの撃墜王 西澤広義、 一撃離脱戦法という海軍では珍しい戦法を貫き
百機以上の撃墜スコアを誇る岩本徹三が語り合ったくだりもこの修羅の翼に述べられている。
西澤広義はドキュメントでその軌跡を 戦後不遇だった岩本徹三さんは奥様が零戦撃墜王として本にのこっている。
対米軍 に当時最強の戦闘機パイロットをあつめて編成された343飛行隊のドキュメント 源田の剣と
今年逝去された笠井智一さんの最後の紫電改パイロットも印象的。
第2次大戦は日本人にとって本当にすさまじい体験であった。
そのときの防衛に当たったひとたちのこころのありようと民間人の生き方は
いまのマスコミや左巻きが夏になると毎回おなじセリフで喚いているものとは少しく違うような気がする。
マクスウェル テイラー ケネディの空母バンカーヒルと二人のカミカゼも
ある意味でハワイの太平洋軍事博物館での零戦パイロットや戦艦ミズーリに突入された特攻パイロットへの
リスペクトとも思える展示に涙がでた。