さて、昨今の特に2000年代に入ってからの皇室
問題に関して、畏れながら今上陛下と皇后に、
その責の一旦はあるのではなかろうか?
民族派や保守派は、ただひたすら『大御心』、
『不敬は許されない』と自縛の状態で、これ
では『九条信者』を笑えない。
もっか報道されている『生前退位』の造語ではあるが、今上陛下は
特になにも言及されていない。つまり容認されているということである。
いつか来るであろう、今上陛下の『崩御』そして『大喪』に関して
350年続いてきた、土葬を火葬にされるとの思し召し。
国民負担を軽減するためにという、いかにも『両陛下らしい』
臣民に向けての配慮であり、ありがたいのではあるがそこまで
『大喪』は費用がかかったのだろうか?
宗教的な意味合いでは、タイでは魂を天に昇らせるという
意味合いがあるがキリスト教では、火葬するという
ことは魂を消滅させる、魂を汚して
天国に行かせない、という意味があるそうです。
皇后陛下の実家である正田家が、キリスト教だったと記憶していたの
ふと、そのことを思いだしたのですが、まさか美智子皇后に限って
そんな考えはないと信じたいものです。
国家元首の葬儀であり、それなりの規模になるのは
当然であり、何も頻繁に『大喪』が行
われているわけではない。
むしろ経済大国になっているのだから、そのような
配慮はされなくてもよかったのではないだろうか?
今上陛下と皇后陛下のされようとしていることは
皇室の権威を低下させる恐れはないだろうか?
所謂、雅子妃問題も本来、舅・姑であるお二人が東宮家に
正しい意味での介入をされて来られれば、巷で問題に
なっているようなこともなかったのではなかろうか。
称徳天皇の例にもあるように現代の道鏡事件が起きなければいいが。 大御心といえども、誤ることもあろう。