今回、中東戦争の時のソ連の武器輸出ルートのことを考えていて、もう一気になったことがあります。
それはベトナム戦争の時の北ベトナムへの輸送ルート。当時中国とソ連は対立していたので陸路では難しい。
でも海路だとすると、トンキン湾はアメリカは制海権を持っていたのだからそんな中を戦車とかの重火器が陸揚げできたのかと?
そこでベトナム戦争の歴史を調べてみたら、なんと北爆の前半期は、空港や港湾施設の近くにソ連の軍事顧問が常駐しており、
それに危害を加えないために、アメリカ政府は空港や港湾施設は空爆が禁止していたということ。
何とも情けない話で、それを見越した北ベトナム軍は港に常に外国船を停泊させていたらしい。
さすがにそんなことをしていたおかげで米軍機が撃墜されてばかりなので、北爆の後半は港を機雷で封鎖したり、
港湾施設にも爆撃を加えたりしたので、ソ連の輸送船は入港できなくなり、北ベトナム軍は山中にこもってゲリラ戦を始めた。
あとの経過は、従軍カメラマンたちがライフ誌に載せた写真のようなものになってしまったということで。
ちなみに、北爆の前半までに運び込まれた重火器や弾薬は結構残っていて、中越戦争の時に人民解放軍を退けるのに
大いに使われたらしい。相当な量の武器が運びこまれていたってことだ。
だた、あとひとつ、アメリカ軍を迎撃していたミグ17,19,21とかは、いったいどこから来たんでしょうね?
ソ連本土からは結構距離があるし、最短距離なら中国の領空を通らないといけない、空母で近くまでっていうのも、
果たして出来たなのかな〜って感じで。皆さん知っていたら教えてください。