10月23日の午後5時56分、新潟県中越地方を震源とする大きな地震があった。一回目の地震はもちろん大きかったのだが続いて数回同規模の揺れが襲った。
僕はその日は朝から新潟でアシスタントの仕事があったので6時には家を出て5時半頃やっと自宅に帰ってきたところだった。写真クラブの仲間と午後10時に集合して福島県奥会津地方の矢ノ原湿原に行く約束をしていて2階の自室でその準備をしていたところだった。
ドドドドっと振動が来て「あっ、でかい地震だ!」と思ったが間髪おかずにガーン、グラグラグラーーーときた。正直言って肝を冷やすほどの揺れ方だった。すぐにNHKテレビをつけたがすぐに地震情報の画面に切り替わった。それで新潟県中越地方の地震と知る。しかし、地震は一回では終わりではなかった。すぐに2回目、そして3回目。急いで大事なものをまとめて逃げる準備をした。そして情報収集。携帯は通じない。親戚から電話。
ドキドキしている自分が分かる。しかし、日本一周の最中に旅先の北海道十勝沖地震に釧路市のホテルで遭遇したときの揺れ方よりも若干ゆれ方がひどくないように思われたので、このくらいなら何とか大丈夫じゃないだろうかと頭の隅で地震の大きさを測っている自分がいた。でも、2回3回と同じ規模の地震が続いたので家屋が大丈夫だろうかと心配にはなった。1回目の地震では倒れなかった書棚が3回目の後に階下から2階へ戻ったときには倒れていた。
それからしばらくはテレビやFMにかじりつき情報を集めようと見たり聴いたりしたのだが、だんだん長岡や小千谷の情報が入ってくる。だんだん被害の大きさが広がってくる。テレビカメラやヘリコプターからの映像が映し出される。
ところが、小千谷や長岡の被害情報はだんだん入ってくるのに、ヘリからの映像を見るかぎりそれ以上の凄まじい被害と思われる山古志村の情報が全然出てこない。これは後でだんだん明らかになってくるのだが、被害がひどすぎて情報網も交通網も寸断されて情報収集が出来なかったというのが事実らしい。全村壊滅的で村の存続の危機であるらしい。火山の噴火による三宅島の全島避難を思い出した。
山古志村といえば郷愁を誘う美しい山村風景で全国的に有名であり、新潟県内で写真をやっているものにとっては古里の原風景といえる宝物といえる地域だと思うのだがテレビ画像を見るかぎり壊滅的な被害状況のようである。本当にこれからどうなるのだろう?あの美しい風景は過去の写真の中だけのものになってしまうのだろうか?村としては全員の避難を決めたようである。今残っている人は家畜の世話のために自主的に残っておる人だけだという。もう新たな余震など起きずに無事にいて欲しいと思う。
三条の水害の被災者となって災害の被災者の大変さが身にしみて分かる。お隣の家の方は早速炊き出しをして長岡に行って来られたそうである。国道(8号線・17号線)も陥没して通行止めになっている状況だが行動力のある人だ。自分が水害で困っているときに色々な方々から受けた援助や助力には本当に助かって感謝したがその気持ちが分かるだけにじっとしていられなかったのだろう。自分たちだってまだ完全に以前の生活に戻っているわけではないのだ。頭の下がることです。