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> この世の中は、「契約社会」でありますので、退職すれば、現職時の上下関係は、無くなります。
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> 従いまして、真にご無礼なことと存じますが、対等な物言いをさせて頂きます。
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> お見事な詩情溢れた散文詩で、且つリアルな内容に感服致しました。
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> 私の管見を述べさせて頂きます。
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> 男というものは、未来に向かって生きようとするのが、真の男ではなかろうかと存じます。
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> 過去の事は、全て過ぎ去った事ゆえ、『過去のネガティブなものは、全て水に流す』。
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> →しかも『日本のきれいな水で流す』。
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> 元を正せば、『すべて我が身から出たサビ』です。人生すべて自己責任と思っております。
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> 「その過去のネガティブなものを昇華させ、努力に努力を重ね、己自身を高めてゆく」。
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> これが真の男の生きる道と存じております。
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> 徳富蘆花は、五十歳の誕生日に『山の上にも山あり、山の奥にも山がある。
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> 人の生の旅はただ登りです』と述べています。私もそう思います。
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> 哲学者・谷川徹三氏はこう言っております。『生は問い、死は答え』だと。
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> この意味するトコロは、『いい生き方をすれば、いい死に方ができる』と、こう自分は解釈しております。
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> まだまだ沢山書きたく存じますが、またに致します。
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私の支離滅裂な文章をお褒め下さり有難うございます。
散文詩とお取り下さったようですが、これはそのようなジャンルに入れて頂くような代物ではありません。
ただの文に過ぎません。
過去のことは、全て過ぎ去ったことゆえ、
過去のネガティブなものは、全て水に流す、、、
それはあくまでも理想論です。
いつまでも鮮明な陽画に人は悩んだり、
あるいは生き抜く力を見出すのです。
決して、陰画にはなり得ないものを、心の中に抱くのが、
人間と言うものではないでしょうか。
ネガティブに昇華することが出来ないで、今もなお、苦界でもがいている人もいます。
熱帯のジャングルで傷ついた部下を置き去りにしてしまった上官の話を
私が時々行くブログで昨日読みました。
人生、すべて、自己責任とは断じ得ない重い話でした。
真の男の生きる道の険しさを文から読み取り、感無量になりました。
すべて水に流せる強い精神力を持てたならば
、神の領域に近づいたことになりますね。
あなたの真の男と、私の真の男の捉え方が少し、
違っていることをあなたの文章から感じました。
又、機会があれば、真の男論を交わしたい気持になります。
いい生き方をすれば、いい死に方が出来る。
これも抹香の香りが漂ってくるようで首をかしげます。
たとえ、生きているうちはどんなにいい生き方をしたとしても
いい死に方が出来るとは限らないのが人間の定めなのです。
自分から死の選び方を選択できないのが
命あるものの、宿命なのです。
いい生き方をすれば、いい死に方が出来ると信じて
毎日を過ごすことは勿論、素晴しいことではあるのですが、
おうおうにして、皮肉な結果が出ることは、
あなたもまわりの方たちの死から実感されているのではないでしょうか。