昨年の暮れ、
ある所で、ちばてつや先生にお会いしました。
思わず、近づいて行ってご挨拶させていただきました。
「漫画家の深谷陽といいます」
(名刺を持ってませんでした。口頭で言っただけでは覚えていただけてないでしょう)
「17年前に、モーニングのちば賞をいただいてデビューしました。」
「それ以来、仕事はあったりなかったりですけどなんとか漫画でやってきました」
するとですね
ちば先生は手を差し出されて
「そう…よくがんばったねえ…17年…よくがんばった…」
傍らにいらした奥様らしき方も
「今は漫画、大変なのにねぇ…そう…すごいわねぇ…」
なんか、とてもとても労ってくださるのです。
図々しく一緒に写真を撮っていただいたら
「いつでも遊びにいらっしゃい」とまで。
帰り道、涙が止まりませんでした。
というか、思い出す度に何度でも湧いてきました。
まるで「落涙スイッチ」です。
なんでこんなにも泣けるのか、考えました。
「がんばった」からだな、と思いました。
プロは、がんばってあたりまえです。
またいくらがんばっても、それだけではだめです。
結果を出さなければ。
むしろがんばったかがんばらないかでいうなら
がんばらずに結果を出す方がプロとしては優秀で、カッコイイです。
オレはこんなにもがんばったんだ、と訴えることは
だからむしろカッコ悪いことで
更に言えば、そんなにがんばらなきゃ出来ないくらいならやめちまえば?
って話です。
漫画の送り手なんか、いくらでもいるんだから。
だから僕は
漫画家でいるために
より面白い漫画を描くために
自分の才能を補うためにがんばってがんばって
なおかつそれをかくそうとしてきました。
それは奥ゆかしさなどからではなく
自己保身の為です。
「ここまでがんばらなきゃ漫画家でいられない」ことがばれないように、です。
がんばってない。別にがんばってない。
でもこのくらいは出来るんです。
だからなんとか漫画家でいさせてください。
でも、本当は、認めてほしかったんだと思います。
「がんばった」ことを
「いいこと」として、普通に、認められたかったのだと思います。
その僕に
ちば先生は「がんばったね」と言ってくださったのです。
おそらくは、僕の漫画などご存知ではないでしょう。
17年前の受賞作(それも大賞でもなく入選の二席目です)なども
覚えてはいらっしゃらないでしょう。
それでも、17年、漫画を続けてきた、というだけで
ちば先生にはわかってもらえたのだと思います。
それがどんなに「がんばった」結果であることか。
そしてそれを、率直に、心から労ってくださったのです。
…照れずに、がんばっていこうと思います。
出版界は、ますます厳しくなっていきますが。
とりあえず、明日も持ち込みです。
握り鋏さん
存じ上げませんでしたが、興味深いですね。
おすすめありがとうございます。
機会あれば読んでみたいです。