トランペット未来塾掲示板
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曽我部清典飯靖子デュオリサイタルプログラムノート前半1
曽我部清典 2013/05/15 11:50:07 Macintosh; Intel Mac OS X 10_8_3) AppleWebKit/536.29.13 (KHTML, like Gecko @114-179-019-146.jp.fiberbit.net
イタリア音楽紀行、というより漂流かな?--------曽我部清典 

 皆さん、本日はご来場いただきまして大変ありがとうございます。イタリアという
と長靴の形をした国を思い浮かべる方も多いでしょう。しかしヨーロッパには侵略の
歴史があって、国境は常に変化していましたし、ローマ帝国滅亡後は1800年代ま
で小さな都市国家で形成されていました。イタリアと言っても広うござんす、なので
す。そして本日演奏する曲目の中で、トランペットとオルガンのオリジナル曲は、ザ
ネトヴィッチとニノ・ロータだけです。その他は、歌であったり、ヴァイオリンであ
ったり、オーケストラであったり。昨今、古楽器ブームで、当時の楽器を復元して演
奏するコンサートが数多く行われていますが、私たちは音楽構造の発展に着目しまし
た。当時の音楽は主に旋法で書かれており、私たちが想像するより意外な解決をしま
す。私はそういうものの方に興味があります。高校生の頃、あんなに嫌いだった世界
史が今はおもしろいと思っています。音楽史と照らし合わせることで、いろんなこと
が湧き上がってきます。

 さて・・・今夜のプログラムはなぜか1300年代から始まります。この時代の音
楽をイタリア・トレチェント(1300)音楽と呼びます。イタリアにはグレゴリオ聖歌が
あったじゃないかと思われる方も多いでしょう。しかし、グレゴリオ聖歌からは、豊
かな発想が生まれて来なかったのです。それは、バチカンが、複雑な音楽を嫌い音楽
家に対して圧力をかけたためとも言われています。なぜなら、一般民衆は単純な歌な
ら歌えるけども、複雑になればなるほど、直ぐには歌えないからです。14世紀前半
までイタリアからは優れた作曲家が出てきませんでした。そんな風潮の中、フィレン
ツェで進んだ音楽を書いていたのが、ランディーニ(1325?~1397)でした。当時のイ
タリアでは、最も有名かつ尊敬された作曲家です。ランディーニのことを「イタリア
のアルスノヴァ」という人も居ます。そして「その旋律の甘美さはまるで胸から心臓
を飛び出させるほどであった。」という記述が残っています。本日演奏される「Si
dolce non sono' con lira Orfeo」の歌詞の中には「私は音楽、そして今泣いてい
る、私の甘く完全な響きを捨て、通りの音楽を選ぶ知的な人々のことを知り残念で」
とあります。和声学的には「ランディーニ終止」と言われる導音と主音の間に第6音
を挟む解決法(シ〜ラ〜ド〜となる)が随所に聴かれます。ランディーニ孤軍奮闘の
ところに登場したのが、フランドル楽派と言われるベルギーあたりに住んでいた作曲
家たちです。フランドルからたくさんの音楽家がイタリアにやってきたのです。ヨハ
ンネス・チコーニア(1373?~1412)はそうした作曲家の中の一人でした。リエージュ
で産まれ、ローマやパドヴァで活躍したとされています。「一匹の彪が」は、マドリ
ガーレとあるように歌のための作品です。1390年代から1400年代初頭にかけてミラ
ノとヴェネツィアの覇権争いに対して独立を保った都市国家ルッカを一匹の彪に例え
て賞賛しています。

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