私の「わが戦記」をお読み下さいまして有難うございます。
バギオ市との共同プロジェクトで第二次大戦中日本軍が掘った防空壕を公開されるそうですが、私は工事指揮官の中隊長ではありましたがバギオ市に於けるその位置はよく知っていないのです。
只これだけは覚えております。高さ10M位の山をくり貫いて大防空壕を掘ったのです、
防空壕全体の長さは全体で120M位で、横に30Mくらいの横坑その右端に横坑を挟んで南から30Mの横坑、北から20Mくらいの入口、横坑の左には20Mくらいの入口とその北の方に20M位の入口を作ったと思います。(長さと方向はうろ覚えですから概略です)
南の入口から20M位のところに6畳くらいの部屋を4っ作りました。
山下大将は上の官邸が爆撃でやられたのでこの6畳の部屋に入ってこられました。
坑道の構造は横1,8M 高さ2Mで杉材の下木、縦柱、天井は頂板でした。
わが部隊は、この防空壕に1945年の1月から4月までいて、その後はバナウエ方向へ転進したですから、防空壕の中にあったという道具、爆薬、手榴弾、鉄砲の弾等はその後に入っていた、他部隊のものだと思われます。
なおバギオにいた当時トリニダッドの山下さん(熊本県八代の人)には大変お世話になりました。ご尊命でございましたらどうぞよろしくお伝え下さい。
バギオ周辺で亡くなった方々の慰霊のために慰霊碑を健立していただき感謝いたします。
役に立つことがあったら又メールをいたします。
今後ともよろしくお願いします。
上杉俊直