俗に桑田VsN淵論争と言われているほどのことはない。「許さない」「卑怯なこと言わずに、ちゃんと謝れ」「殴りこんでやる」とN淵が一方的に吠えるのに、「それじゃ、用心棒を雇わなくちゃな」というような風聞がマスコミに流れたくらいだった。
「言い寄る女と客*とがそれでもよしとする」汚濁したロック界のイメージ、それを揶揄していることは正気の頭にはよく判ることだが、いかんせん歌った人の私生活が真面目過ぎた。「自分を含む芸能ロックシンガーと言っているが、バカヤロ様の所業一つとしてやってないくせに」というN淵の思いだったろう。たしかに、口先だけでキレイゴトを並べるオッサンの逆バージョンだった。かといえ、それで桑田佳祐を責められはしないが。
N淵にとって全く無視されることほど腹立たしいことはないだろう。このケースで@(^ω^ノ)ノだったら、あんなバカ相手にしてられない嫌悪感から無視しきるところだが、桑田佳祐はライブツアーのステージでバンダナキャップを付けて現れ「N淵です」と言ったり、問題の歌のときには「文句あるかあ〜!」と拳を振り上げたりして、相手をしてやっていた。謝罪はあくまでも「飛火」した迷惑へのことであって、個人攻撃をして悪かったという謝罪なら、そんな言動をするわけがない。それは、自らシャドウの投影を買って出たバカへの友としての対応としか見えなかったが…。
だが、翌年早々のN淵逮捕により、桑田佳祐の思いは暗転したはずだ。
これで世間に、歌のモデル=N淵という図式が確立されてしまったという自作への思いは些細なことで、もう一つの暗雲のような何とも遣り切れない思いに苛まれたことだろう。それを(コマーシャリズムに係ることも含む)具体的には書かないけれど…ここまで読んでもらった桑田佳祐ファンには充分察せられることだから。
だから、この件は両者にとって世間からは忘れ去られた方がいいのだろう。 ファンの一人として、いずれは書き残しておこうと思っていながら今さら蒸し返すことも…という思いから躊躇っていたけれど、たまたま去年サザンファンの二人の女性から「あれって、N淵のことだよね」と質問というか同調を求められ、十全にこちらの見解を伝えるためにはここまで書いてきたくらいのことをメールしなければならないし(..ゞ という経緯があった。この件をリアルタイムで知ることのなかった彼女たち(同い年)のように、若く(゜ε゜;)新しいファンも数多くいる。いずれは耳に入ることなら、最も好ましくない「見解」でインプットされることは可能な限り避けたい。自サイトに載せたって大河の一滴にもならないが、そこはインターネットの世の中に期待して。
@(^ω^ノ)ノ次の板でなんとか終わりそう
* はレス板に