CMソングとしても流された<すべての歌に懺悔しな>が収められている「孤独の太陽」*は桑田佳祐にとってエポックメイキングといえるアルバムで、エンタティメントの流行作家が一転して書いた(自身のことをリアリズムで書くとかいう在来手法でない)私小説という趣があります。反戦歌や政治や社会を憂いた歌もあるけれど、それらも社会に向けて声を張って訴えるというより、たんに個人として内向的に問いかけ嘆いている感じがします。
悲しみや失望の側からしか見ることのできない希望の形を、この曲は確かに生々しく持っているような気がする(スガシカオ)<JOURNEY>をラストトラックとし、一生かけて作りたいと思っていたアルバムに非常に近い(GLAYたくろう)という「孤独の太陽」に、チンケな個人(それもN淵ごとき)攻撃の歌をどうして収めなければならないのだろうか。
この歌世界を作る際の桑田佳祐には、シャドウの君に限りなく似ているらしいN淵の存在などカケラもなく、そのくらいのことは(シンガソングライターの芸歴も長い)N淵にも感じられたはずだから、「誹謗中傷揶揄コケにされまくってるのに、作者の眼中に俺の存在のカケラもない」という二律背反の悔しさがヤク中患者特有の被害妄想と混濁し、歪んだ怒りを脹らませてしまった。
ハロー、べーべのドラゴン退治では、ホリエモンの名を借りた不明を恥じるのは当然**として、「違う話にとられちゃうじゃないかよ」とガッカリ怒ったくらいだから、言い掛かりを付けられた上に歌の誤解釈を流伝されてしまった桑田佳祐の心中いかばかりか察せられる。
<すべての歌に懺悔しな>のモデルはNだのYだのとマスコミが騒然となったことで、桑田佳祐は記者会見を開き特定の個人ではない旨コメントし、特に取り沙汰されたNとYに謝罪文を送ったという。コメントは自作が誤解されないように相応の措置といえても、謝罪は余計なこと(\.Y/.)(\.Y/.) だっちゅーの♪
モデルではない旨のコメントは自作のためにしたことで、人の善い桑田のことだから、火の粉が飛んだ二人には「迷惑かけました」と詫び状を送ったのだろうが、そんなもん、どう表現してみても「街中みんなのお笑い草だぜバカヤロ様とは貴殿のことだとマスコミが騒いでご迷惑をかけました。貴殿をモデルにしたものではありませんので悪しからず」という意味にしかならないよなあ。N淵がぶうたれ始めたのはその後のことだし、二人に「詫び状」を送ったことは返す返すも失敗だったと思う。
歌を作る過程で特定の個人は視界になかったにしろ、CDの形になりCMソングとして流されるまでの期間に、誰かに似ているなと視界に入ってきたり、周囲からの指摘もあったと思う。が、その時点ではN淵のことは浮かんでなかったのではないか。成り上がりを掲げるYなら、スーパースターだヨロシクくらいのことは言ってるだろうから、♪スーパースターになれたのは世渡り上手と金まかせ〜はピッタシ当てはまる。けれど、彼のキャラなら問題にならないと確信に近い思いがあったろう。事実、「お互いに表現者、気にしてねえよ」だけだった。たぶん、俺のことだろうがなかろうが。
五枚目になっちゃった@(^ω^ノ)ノ *印はレス板に