エクリチュールする板…掲示板
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(・ω・ノ)ノ顔文字の三枚目
はるおまつみ 2005/12/14 15:27:06 compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1 @PPPa1280.chiba-ip.dti.ne.jp
 漢字などの象形文字系の記号と思われやすい顔文字だが、そこからシニフェを読み取る仕組みにはかなりな違いがある。
 いま私たち日本人がふだんに使っている漢字たちで、祖先としての象形文字を髣髴とさせるものは少ない。すぐに思い浮かぶものといったら、山と川くらいだろうか。
 その山川にしても、例えば(*^o^)や(T_T)から笑いや泣くという意味を読み取るのと同じ原理をしている人は、まず、いないと思われる。
 山・川というシニファンから山・川という意味を読み取れているのは、私たちがなんらかの方法で学んだからに他ならない。
 私たちが言葉を学ぶ場合の大半は、記述言述のコンテキストからその言葉の意味を推定することから始まる。そして、暇な人や熱心な人は辞書を引いて裏付けをとることだろう…国語辞書には現実のコンテキストの中で活躍している言葉とその意味の代表が登録されていく…あらかじめ辞書に載っている言葉とその意味を覚えてから現実の中で使うということはめったにない…それを漢字に限っても、先ず国語辞書で(字体と意味を)知ってからのち現実生活の中で使うということさえ非常に少ない(外国語習得の場合はそれが反対になるから、大方の日本人は英会話が下手なのでφ(ー"ー ) ...得意な人というのは日常生活のなかで習得しているはずだ)。

 さて顔文字の場合は、嬉しい(あるいは詰らぬ)ことに学習の必要はない。ある程度の意味を規範する辞書というものもない(顔文字辞書というものがあるが、大雑把に「笑う集」「泣き集」などと区画してあるだけ)から、記する側も読み取る側も「感覚」だけが頼りという覚束なさと自由がある。その覚束なさは、コンテキストの中に置くことでかなり(普通の文字の場合よりも遥かに、かなり)補填されはするが。
 一般的な意味での学習のいらない「感覚」とは、コモンセンスといってもいいかも知れない。だからそこに顔文字の限界面が見えてくる。コミュニケーション手段であるにも関わらずパターンの社会的規範が希薄ということは、けっこう「不自由」なものだ。あるのか無いのか分らないラング(あるはずだが)がために、パロールでのダイナミズムが殆ど期待できないのだ。
 束縛からの解放…そういう形でしか私たち人間の「自由」はないのだろうか…なんて大仰な問題はそういうことを考えるのが好きな方たちにまかせておくとして(つまり、大層な難問に囚われることなく自由に、そして軽妙に)(^^♪文字のことを考えてみたい°゜°。。ヘ(;^^)ノ

PS 以上の文章の中で(*^o^)と(T_T)だけが文脈進行のなかで記入されている。ほかの顔文字は後からレイアウト感覚で挿入されたものだ(用い方も違う)。
 このことから、顔文字はコミュニケーションのエクリチュールに多用される(少なくも(p_@)の場合は)ということが判る。掲示板という名とは裏腹に、ここはコミュニケーションが目的よりも、主にエクリチュールによって考えるための板だから。
 一人称代名詞として (P_・;)などを使うのは、コミュニケーションを意識したときなのだろう。考えている最中は一人称代名詞など意識しないものだ。
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