表音記号・アルファベット表記を使うエクリチュールと日本語の漢字かな時にはアルファベットおまけに顔文字混じりのエクリチュールとでは、そのシニフェはかなり異質なんじゃないか。いや?逆に!シニファンが異なっている分、そのシニフェは共通性というか互換性が高いかも知れない。異質なのは、シニファンからシニフェを醸しだす構造なのだろう。
ソシュール以降も以前もから、欧米の言語学そして記号論は表音記号に即して語られていて、日本人からみるとどうしても異質な感じがつきまとう。たぶん彼らネイティブはアルファベット表記を「音」として捉え、その音シニファンによってシニフェが醸し出されているのだと思えてならない。
欧米ネイティブの聴覚障害者なら日本人のエクリチュールの感受の仕方と似ているのではないか。日本人の一般健常者でも活字中毒者クラスになると、聴覚障害者がするエクリチュールの視覚感受と殆ど同じではないかなどと考えてみる。
自分の例では、音声による言語活動を聞いてもいったん漢字かなカナ混じりに変換してからでないとよく理解できないようで、会話が苦手なのはそのせいだろうと。
このことは当然、れいの右脳/左脳、言語脳/音楽脳の発達・優位面と関わってくるはずだ。
[(p_@)はこの説を、物理的な脳の違いはどうでもよく、機能性の違いとして捉え、○○脳型という意味でいう]
だからだろうか、デフォルトな人々に限れば、私たち日本語人よりも表音表記語民族の方が、どうしても「音楽的」に感じられる。
ある年代の沖縄の人が漢字は(ある程度読めても)書けないということを知って思い当たったが、このごろのPOPミュージック・シーンにおける沖縄勢の活躍ぶり。
刷り込み的な教育期に英語をネィチブとして(ひらがなを表音記号として)育てば、ヤマトンチュウよりだいぶ「音楽的」になれるだろう。トップクラスのラッパーが殆ど沖縄出身者なのは当然のことと言えるかもしれない。
制限字数の1500字には収まりきれず、二回に分けてまだ「顔文字」まで行き着けない。
顔文字のことを語ろうというのに、それ自体に行き着くためにはこれくらいの範囲から羊群を柵内に追い纏めるような作業が必要なのだから、エクリチュールを語ろうというのは、ことほど厄介(\.Y/.)(\.Y/.) だっちゅーの♪
PS 読み直して気付いたことに、顔文字はアルファベット表記文よりも日本語文の方に馴染み易いという道理が(なぜ(p_@)が顔文字好きなのかまで)導き出されているではないか。どうりで、欧米の顔文字というのが日本製のよりもだいぶ貧弱なわけだ。英数記号から出来上がっている顔文字なのに皮肉なことである。
その点では中国語もそうだろうが、漢字カナ平仮名混じりにアルファベットまで紛れ込ませて平気な日本語文の方が遥かに柔軟に受容されうるわけだ(゚-゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)