>ケータイの進化で、そのうちチラシも激減してくるでしょうから、今の価格での宅配はできなくなるでしょうね。
既にチラシは減少していると、販売店の人が話していました。販売店の合併統合も進んでいます。
>予算の不足のせいか読み応えのある記事がずいぶん少なくなりました。
予算のせいばかりでなく、楽をして記事を書こうとするからかもしれません。
>その境地にまで至らなくても、先の方にそれを見つめることで、今の自分を落ち着かせることができるというのはずれていますか?
せっぱ詰まったときに呼べるものの名前(阿弥陀仏)を持っているだけで、死んだ後に行くべき所(浄土)を知っているだけで、人は心穏やかに生きていけると思います。
>うまく言えないのですが、我が身の不幸や不平不満のほとんどは、他人や社会のせいにしている現在と比べて、自分の努力や信心の足りなさと思っていた昔の人の方がはるかに本質を捉えていたような気がするのです。
うーん、そもそも、江戸時代には、努力という言葉はそれほど使われていなかったはずです。努力すれば社会を変えられるという発想もなかったはずです。
>しかし、カウンセラーに相談に来るほどになるのは、相当根深い問題を抱えていますから、カウンセリングで解決できる限界はすぐに見えてしまうようですね。
>相手の立場に立ってじっくりと話を聞けるような精神的にタフな人間はそんなに多くいないと思います。
聞いているフリをしていれば良いんですけどね。大体、堂々巡りをしているだけですから、一巡するまで聞いたら、後は聴くフリをして相手が疲れるまで待つ。疲れ切ったところで、堂々巡りから抜け出すヒントを出してみる。
問題なのは、堂々巡りの好きな人は、また別の問題で堂々巡りを始めることですかね。
「バカの考え 休みに似たり」
と気づいてくれればしめたものですが。
>身内にカウンセラーのまねごとをしているのがいますが、時々仕事での憤懣をこちらにぶつけられて大いに迷惑します。(苦笑)
つまり、スーパーバイザーということですから、重要な仕事です。
>悔しいけど、ごもっとも。
>でも自分自身の問題であるということさえわからない人の方が多いでしょうねえ。
そうですね。自分から苦の因(たね)を背負う人が多すぎます。