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雑感コーナー
方丈記 No5(三界の心) New
地主 2023/06/24 13:37:40 Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko @238.129.145.153.ap.dti.ne.jp
体を動かし、歩くことはとても健康的である。『常に歩き、常に動くは、養生なるべし』と静かに休んでいるのはむしろ不健康だ。着るものなどは、手に入るなりに適当にすればいいのだし、食べるものも手に入ったなりに食べていけばいい。祖衣粗食の生活はちょっと見にはみすぼらしいが、街中で社交するわけではないのだから、何も恥ずかしいことなどない…。これは富裕な方々への嫌味で言っているのではない。あくまでも私の個人的なつぶやきで自分自身の豊かだった昔と現在を比べて、今のほうがよっぽど幸せだと言うことを言いたいだけだと…。長明は自分の閑静な暮らしの素晴らしさを強調して豊かさの価値観をひっくり返して財産や欲にまみれた京の貴族の暮らしを高みから引きずり下ろそうと、ほころみたと解釈されるとか〜。それを、感じさせる原文は『それ三界は、ただ心ひとつなり。心、もしやすからずは、象馬七珍(財宝)もよしなく、宮殿楼閣(豪邸)ものぞみなし。いま寂しきすまひ、一間の庵、みずからこれを愛す。』山界とは、人間が普通に生きているこの現世と、意識の世界と、無意識の世界の三つだとか〜仏教で言うところの全宇宙を指しそこで認識されるものは、ただ心の有りようだけだそうです。だから、幸福感はただ心が安らかで有ることで得られるようです。心にストレスが溜まっている状態は、どれほど財産があっても立派な家に住んでいても不幸だと言っていて、有るのはこのちっぽけな庵だけだが心が満ち足りているので幸せだと言っている。もし、私の言うことを疑うなら、魚と鳥とのありさまをごらんなさい。魚は水の中に住んでいて、魚でないものは『魚はあんなところで幸せなのだろうか』と思うけれども、魚自身はそれで幸せなのだ。鳥は林に住むことを願うが、鳥でないものは『あんな暮らしがいいの』と思う。けれども、鳥はそれが幸せなのだ。と思うとか。それと同じように、私はこの方丈の生活がこの上なく幸せなのだと言っているが、味わったことのない人には分かるはずもない。原文:魚は水にあかず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願う。鳥にあらざれば、その心を知らず。閉居の気味もまた同じ。住まわずして誰かさとらむ。No6へ続く。

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