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方丈記 No4 (方丈庵) New
地主 2023/06/11 12:44:08 Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko @238.129.145.153.ap.dti.ne.jp
下鴨神社の正禰宜の子として生まれたが、父の死によって一族からの受け入れられず、好きな歌道に打ち込むものの社会的に今一つ芽が出なくて、ようやく和歌所の寄人として院のそばで働くチャンスが訪れたが、直ぐに投げ出すはめになり、鴨社での栄達の可能性を再び閉ざされ鎌倉と言う新天地での道もダメとなり負け犬人生の総決算する思いで『方丈記』を自分史として書いたようです。人生の勝負に負け、全てを失ったけれど、それでも自分はここにいる。地位もない、家もない、金もない、妻子もいない。だけど、自分は今ここにいて芸術的感性なら誰にも負けないし、人様に恥じることは何もしていない。自分の思想信条はそれなりにしっかりしている。長明ここにあり!の思いで、自分の生きた証明を何とか世に残したいと言う気持ちで書いたと思われる。本文は、ここに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉の宿りを結べることあり。いはば、旅人の一夜の宿を作り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。長明にとって理想の住まいとは自分をぴったりと包んで守つてくれる繭のようなもので、まとっていることで気持ちが安定して英気を養ってくれるのが日野山の方丈の庵であり、現生を離れ来世へと生まれ変わるためのカプセルのような存在だったとか?旅人は一日歩き疲れて野に一夜の仮の宿を求め、それで元気を回復して朝日とともに日が改まると新たな気持ちで次へ旅立つ。つまり、方丈の庵は現生では終の棲家であり、来るべき次の世へ静かに旅立つための、心を養う、新たなスタートの場としての住まいでもあったようです。そして、やることがあったら、全部自分でやる。多少の面倒があるが、他人をしもべとしてその世話に気を使うよりましである。歩かなければならないときは、自分から歩く… 。と山中での生活は満ち足りていたようである。本文、『春は藤波を見る。紫雲のごとくして西 方に匂う。夏は郭公を聞く。語らうことに死出の山路を契る。秋はヒグラシの声耳に満ち足りてり。うつせみの世を悲しむほど聞こゆ。冬は雪を哀れぶ。積り消ゆるさま罪隙間にたとへつべし』春は藤の花房がたなびいて、紫の雲のようで西方浄土に匂い立つようだ。夏はホトトギスの声が聞こえ、自分をあの世に迎え入れてくれることを約束してくれる。秋はヒグラシが鳴いて、はかないこの世を悲しんでいる。冬は雪がしみじみ美しい。積もった雪が消えていく様子を見ていると、私の中に積もり積もった罪業も消えてゆくようだ…No5へ続く。

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