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『方丈記 No1』New
地主 2023/05/24 13:14:23 Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko @238.129.145.153.ap.dti.ne.jp
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。現代語訳は『流れる川の流れは絶え間ないが、しかし、その水はもとの水ではない。よどみの水面に浮かぶ泡は消えては生じて、そのままの姿で長くとどまっているというためしはない。世の中の人間と住まいも、これと同じなのだ。』鴨長明の『方丈記』冒頭の書き出しである。京都南郊の伏見の奥まったところに鴨長明が晩年に住み着いた『方丈=1丈(約3m)×1丈(約3m)』庵がある。日野の里(親鸞の生誕の地で二人は同世代人)と言われる処である。現在は河合神社の境内に復元されている。『方丈記』と言えば『無常観』と言われるが平安京を襲った五つの厄災をルポルタージュのように生き生きと描写されている随筆集と思う。はかない世のあり様を克明に記録されている『災害文学作品=方丈記の前半分の殆どが災害記録』でもあると思う。防災士の私としてはひも解いてみたい思った次第である。鴨長明は平安末期の1155年ごろ下鴨神社として知られる賀茂御祖神社の正禰宜の子として生まれたが父親と18歳の時死に別れ相続争いに敗れ30歳過ぎに家を出て50歳で出家し62歳で亡くなっている。長明のつぶやきで気に入った言葉(現代語訳)を紹介する。『春は藤の花房がたなびいて、紫の雲のようで、西方浄土に匂い立つようだ。夏はホトトギスの声が聞こえ、自分をあの世に迎え入れてくれることを約束をしてくれる。秋はヒグラシが鳴いて、はかないこの世を悲しんでいる。冬は雪がしみじみ美しい。積もった雪が消えてゆく様子を見ていると、私の中に積もり積もった罪業も消えてゆくようだ…。』隠居の一人暮らしは体に良いと主張して『いかにいはむや、常に歩き、常に動くは、養性なるべし〜。体を動かし、歩くことはとても健康的である。静かに休んでいるのはむしろ不健康だ。着るものなどは、手に入れるなりに適当にすればいいのだし、食べるものも手に入ったなりに食べていけばいい。粗衣粗食の生活はちょっと見にはみすぼらしいが、街中で社交するわけではないのだから、何も恥ずかしい事ではない〜』そして、こう付け加えている。『だからと言って、これは富裕な方々への嫌味で言っているのではない。あくまでも私の個人的なつぶやきなのですよ。自分自身の豊かだった昔と現在を比べて、今のほうがよっぽど幸せだと言いたいだけなのです。』負け組とみなされている長明としては自分の閑寂な暮らしの素晴らしさを強調して『三界とは、人間が普通に生きているこの現世と、意識の世界と、無意識の世界の三つで、これが仏教でいう全宇宙なので、そこで認識されるものは、ただ心のあり様だけで、幸福感とはただ心が安らかであることによって得られる。だとすると、心にストレスが溜まっている状態はどれほど財産(象馬七珍)が有っても立派な家(宮殿楼閣)に住んでいても不幸だと言うことになる。私に有るのはちっぽけな庵だけだが、心が満ち足りているのでとても幸せだ』と主張している。No2へ続く

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