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雑感コーナー
歎異抄について(その2)
地主 2022/05/28 20:28:17 Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko @174.105.149.114.ap.dti.ne.jp
釈迦一代の教えを記した『一切(いっさい)経(きょう)』には南無阿弥陀仏の特効薬としての効能は『破(は)闇(あん)満願(まんがん)』と説かれている。破闇とは闇を破る力が有るという事で、仏教の闇は『無明の闇』を指す。つまり病に例えて無明業障の病(=死後が暗い心の病)を破る事なので死後が明るい心にする力で満願(願いを満たす力)となる。また、歎異抄に南無阿弥陀仏は『往生(おうじょう)一定(いちじょう)』にすると言う働きもあるそうです。往生は死後、極楽浄土へ往(い)って仏に生(う)まれ変わることであり、一定は一つに定まることなので死ねば極楽浄土に往き仏に生まれられることが生きている現在ハッキリすることである。極楽浄土に生まれた人には一切の苦しみはなく多くの楽しみだけがあるそうだ。我々が日常体験している楽しみは今日あって明日なき楽しみで臨終には100%消滅する相対的な幸福であり裸で生まれ裸で死ぬが、親鸞聖人の極楽浄土は『無量(むりょう)光明土(こうみょうど)=限りなく明るい世界』であり無上の幸福(絶対の幸福)で人間に生まれて良かった。私ほどの幸せ者はいないと思うことが出来る極楽浄土と言われる。『南無阿弥陀仏』の特効薬は、真の安心と満足で現在が生かされ、永遠の闇より救われて苦悩渦巻く人生が、そのまま無上の幸福と転じ、一切の苦労が報われ、流した涙の一滴一滴が真珠の玉となって、その手に戻ってくるそうだ。『生きている平生に早く『死後が暗い心の病』を治し、無上の幸福になりなさいと親鸞聖人は言われて『平生業(へいぜいごう)成(じょう)』の教えを説かれている。『平生(へいぜい)』とは生きている現在が大切であり、業成の『業(ごう)』は無明業障の病(死後が暗い心の病)の治療のことであり『成(じょう)』は完成する、達成すると言う意味である。つまり、生きている現在人生の目的を完成して、自分の人生に自信を持ってブレない生き方をしなさいと言われている。そして、その弥陀が作られた特効薬の『南無阿弥陀仏』は、聞く一つで飲める(頂ける)薬だそうで『仏法(ぶっぽう)は聴聞(ちょうもん)に極(きわ)まる』(弥陀の誓いは聞く一つで救うという誓いである)と親鸞聖人は断言されている。第7章には全ての人が聞く一念で無上の幸福に救われることを『無碍(むげ)の一道(いちどう)』と言われている。碍(げ)とは、さわりと言うことで欲や怒り等の煩悩や数々の障害がさわり(妨げ)にならなくなりいつ死んでも必ず極楽浄土に往けるとハッキリすることで、一道とは唯一の世界を示す。つまり、仏教では『煩悩(ぼんのう)即(そく)菩提(ぼだい)』とか『転(てん)悪(あく)成(じょう)善(ぜん)=悪が転じて善となる』と言われ、欲(よく)や怒り妬み(いかりねたみ)恨み(うらみ)の煩悩(苦しみ)が、そのまま菩提(喜び)に転じ変わる世界があるそうです。一人で厳しい、怖い山道を歩く時に恋人が出来て一緒に歩く事になればワクワクして歩けるとか…『渋柿の渋がそのまま甘味かな=渋が強い柿ほど甘い干し柿になる』と言われており煩悩と喜びの関係は氷と水に例えられ氷が小さければ解けた水も少なく、逆に、煩悩一杯なら喜びが一杯になるそうだ。これを親鸞聖人は『さわり(煩悩)多きに、徳(喜び)多し』と言われている。続く。

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