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雑感コーナー
歎異抄について「その1」:一万年堂出版『歎異抄って何だろう』読後感
地主 2022/05/20 17:26:05 Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko @174.105.149.114.ap.dti.ne.jp
親鸞の直弟子『碓円』が親鸞没後(1288年頃)に書き記したもので第1条から10条は親鸞の教えや語録を纏めた序『語録(師訓)篇』で、11条から18条が親鸞の正しい教えを説く碓円の解釈を示す中序『歎異(異義)篇』と、後序に筆者の思いと流罪記録が書かれている。全ての人は二つの難病で苦しんでいる悪人であり、人間は108の煩悩を持っているが、治らない難病は三毒の『欲・怒り・愚痴』治る難病は『死後が暗い心の病=無明業障の病』であると説く。仏様は『見・聞・知』のお方なので、ごまかしはきかない。全て見ていて陰でコソコソ言っても聞いておられ心の底で密かに思っていたことも皆知っておられるのが仏様だそうです。人間の智慧は凡智、仏の智慧は仏智と言う。仏の悟りは52位(仏覚=無上賞)あり、51位(等賞)とは56億7000万年はなれている。地球は太陽系宇宙の一つだが、宇宙には小千世界(地球が1000個集まっている世界)中千世界(小千世界が1000個)、大千世界(中千世界が1000個)これらを総じて釈迦は三千代千世界と説いていて、それぞれ(地球に釈迦が現れたように)仏が存在するとして『十方(大宇宙)の諸仏(仏)』と言われている。大乗仏教では仏は如来とも言われ真理に到達した人で西仏国土には阿弥陀如来(迷える人々を極楽浄土に導いて救う)がおられ、東には薬師如来が住む瑠璃光浄土、北には釈迦如来が住む霊山浄土がある。如来に導かれて浄土に行くことを往生と言う。十方の師は阿弥陀如来(弥陀(みだ)と言われている)であり、諸仏は皆弥陀のお弟子さんと言われている。歎異抄の第一章に『弥陀の誓願不思議に助けまいらせて往生を遂(と)ぐるなり』と信じて『念仏申さん』と思い立つ心のおこるとき、すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にあずけしめたまうなり。弥陀の本願老少善悪の人を選ばず、ただ信心を要とすと知るべし。そのゆえは、罪悪(ざいあく)深重(じんじゅう)・煩悩熾(ぼんのうし)盛(じょう)の衆生を助けんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに、と云々。弥陀の誓願も弥陀の本願、本願、願も全て『弥陀の誓い』の事を、言葉を変えて言われていて、弥陀は『すべての人を信楽(しんぎょう)という幸せにしてみせる』と誓われているのである。つまり、簡明に言えば『どんな極悪人も信楽(しんぎょう)に救う』と言う誓いだそうだ。信(しん)は『死後が暗い心の病』を治して(死んだらどうなるかハッキリさせる)明るい心にすることであり、楽(ぎょう)とは『摂取不捨(=摂(おさ)め取って捨てぬ)の利益(=幸福)』を与えて無上の幸福にすることである。『人間に生まれて良かった』『この不滅の幸せにさせて頂くための人生だったのか』と光り輝く幸福こそが、全ての人(万人(ばんにん))が求める究極の幸せなので、特効薬として『南無阿弥陀仏』の6字の名号を唱え『死後が暗い心の病』を治すことにされた。続く。

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